折形デザイン研究所

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レポート 国際交流基金ウクライナ ワークショップ報告

ウクライナレポート

8月14日水曜日
成田を発ち、12時間弱でウィーンへ。約2時間のトランジットの後、2時間の飛行でウクライナの首都キエフへ。夜10時を回っている。大使館手配の車でホテルへ。

8月15日木曜日
前日までチェルノブイリに出張されていた大使館の大野さんがホテルのロビーに迎えに来てくださる。一緒にレストランで昼食。その後、大使館へ移動し、坂田大使を表敬。大使は文部科学省のご出身で、流体熱力学がご専門の学者であることなどを伺う。温厚で知的な印象の理由が分かった気がした。大使館の館内で、通訳のキリルさんとハリコフでの講演内容についての打ち合わせと折形のワークショップの体験をしてもらう。キリルさんは、キエフの大学で日本語を勉強した後、名古屋の大学に留学した経験の持ち主。大学卒業後、一時日本企業につとめ、その後日本国大使館職員となった人である。
日本文化に精通し、日本語も流暢で、物腰も日本人のようである。頼もしい限りだ。
夜、折形のレクチャーとワークショップの会場になるハルキフ美術館のあるハリコフへ、大使ご夫婦と大使館の方々と飛行機で移動。


8月16日金曜日
朝食を済ませて、ハルキフ美術館へ移動。13時よりレクチャーをスタート。日本のコンパクト・カルチャーについて、パワーポイントで画像を示しながらお話を1時間半ほどする。自己紹介を兼ねて、グラフィック・デザイナーとしての本の装丁を見てもらったが、その本の装丁についての質問が沢山寄せられる。また、画像をコピーさせてもらえないだろうかという若者まであらわれる。日本のグラフィック・デザインが大好きだという。確かに会場には、若くおしゃれでクリエイターらしい若者が多い。オーストリアでデザインの勉強をしたが、ハリコフはまだ文化的な成熟度が低く、思うような仕事が出来ないがどうしたらいいだろうかという、人生相談のような質問が出たりもした。時間を少しオーバー。
15時からの「現代日本デザイン100選」開会式に列席。
16時からのワークショップ会場の設営にとりかかる。ほぼ、レクチャーに参加してくれた40名ほどの人々がそのままワークショップに参加。坂田大使の奥様も参加してくださる。大使は、ハルキフ物理研究所の視察へ。
ワークショップも時間をかなりオーバーしてしまう。熱心に紙を折ることや、水引を結ぶことに取り組んでくれる。ほとんどが和紙に触れるのは初めてという人たちである。和紙は張りがあってやさしくて肌理が細かくて気持ちがいいと言う。改めて、和紙は日本人そのものなんだという気がして嬉しくなってしまう。和紙は私たち日本人にとって当たり前のものだから、異国の人からそのように言われて、改めてその特徴に気づかされる。
ワークショップの後も残った若い人たちから、色々な質問を受ける。質問の内容は民族のアイデンティティと表現の問題ということに集約できるものであった。
改めて日本は、ユーラシア大陸のはずれの海上に弓なりの列島としてあり、海によって大陸から隔たりながら繋がっているという地理的幸運に浴しているのだと思う。大陸や半島や南方からの文化がふきだまってハイブリット化したのが日本文化だろう。折形はその代表例のひとつだろう。地続きの東欧の国の政治的な変遷の歴史と文化の問題を考えさせられる。
夜は、大使館の大野さん、キリルさんと我々4人で、ホテルの近くのウクライナ料理のレストランで打ち上げ。我々が抱いているロシア料理のボルシチやカツレツは、ウクライナの郷土料理であることを知る。サーロ(豚脂身の塩漬け)と野菜の酢漬けをつまみに、地ビールで乾杯。お互いに役目を終えた安堵から、深夜まで打ち解けて語り合う。
 

8月17日土曜日
朝5時半にホテルを出発。大使ご夫婦、大使館の方々とハリコフの空港へ。8時過ぎキエフ着。ホテルへ戻り1時間ほど仮眠。
キエフでは、バレーかサーカスを観るつもりだったが、夏休みで劇場は休館。そこで、チェルノブイリ博物館へ行くことにする。ホテルからタクシーで20分ほどである。古い消防署の内部を改装して1990年に会館した博物館だ。入口を入るといきなり福島の原発の展示で、事故後の街と人々の様子の写真パネルが所狭しと貼られている。受付で、日本語によるイヤホンガイドを借りて2階の展示場へ上がると、チェルノブイリ原発の事故発生の午前1時23分で止まった大きな時計が目に入る。展示室には事故の記録や、被爆して亡くなった人々の顔写真や遺品が所狭しと並べられている。ドキュメンタリーフィルムが流れ27年前の事故の実体が、あますところなく示されている。2時間ほどいただろうか。一気に観光気分は失せて、暗く重い気持ちになってしまう。福島の原発事故の重大さと、核廃棄物の最終処理方法や、事故処理方法が見つけ出せないにもかかわらず原子力発電に踏み切ってしまった人類の大きな過ちを思い知らされる。発電所を覆ってあったコンクリートの石棺が老朽化し、さらにそれを覆う工事が行われているという。しかし、その耐用年数も100年といわれているそうだ。負の遺産を未来に残そうとしているのだ。
消防署が博物館になっているのは、ここから火災事故の消火に向けて110km先のチェルノブイリに隊員が出動し、被爆したことによるそうだ。その勇気を称え開館したという。また日本のウクライナ大使が文部科学省出身であることや流体熱力学の研究者であることが、改めて合点のいくことであった。

8月18日日曜日
午前10時50分、空港からキエフを離れる。空から見下ろすウクライナは、ヨーロッパの穀草地帯と呼ばれるだけあって、平坦な大地が広がり、色とりどりの野菜で彩られた畑が広がっていた。
折形デザイン研究所 山口信博

国際交流基金ウクライナ ワークショップ報告

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